あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう(ヨハネ10:7~10)

(今回は、救いへと通じている門であるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の7~10節より 『そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに(=おもにユダヤ人指導者に)言っておく。わたしは羊の門である(=イスラ…

羊はその声を知っているので、彼について行くのである(ヨハネ10:1~6)

(今回は、信仰者はキリストの声をききわける、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の1~6節より(以下はキリストのおことばです) 『よくよくあなたがたに(=おもにユダヤ人指導者たちに)言っておく。羊の囲いに(=神の…

もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある(ヨハネ9:40~41)

(今回は、神への畏(おそ)れがなく、おごりたかぶっているユダヤ人指導者たち、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の40~41節より 『そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが(=ユダヤ人指導者たちが)、それを聞いて(=見え…

わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである(ヨハネ9:39)

(今回は、世にこられたキリストによって、救われる者とほろびる者とがわけられる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の39節より 『そこでイエスは言われた(=キリストへの信仰にいたった盲人だった男に言われた)、「わた…

あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である(ヨハネ9:35~38)

(今回は、神のみわざにより、盲人だった男がキリストへの信仰にいたる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の35~38節より 『イエスは、その人が(=イエスが目をいやした男が)外へ(=迫害をうけ、ユダヤ人の共同体から)…

もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです(ヨハネ9:32~34)

(今回は、迫害を覚悟で、自分におこったことを訴えつづける盲人だった男、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の32~34節より(以下は盲人だった男のセリフからです) 『「生れつき盲(もう)であった者の目をあけた人があるということ…

神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます(ヨハネ9:28~31)

(今回は、迫害をおそれずに、堂々と自分の考えを語っている盲人だった男、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の28~31節より 『そこで彼らは(=イエスの弟子になりたいのかと言いかえされたユダヤ人指導者たちは)彼を(=盲人だった…

あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです(ヨハネ9:24~27)

(今回は、迫害をおそれずに、イエスとの体験のままを語っている盲人だった男、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の24~27節より 『そこで彼らは(=ユダヤ人指導者たちは)、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰す…

それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである(ヨハネ9:21~23)

(今回は、イエスをキリスト(救い主)とみとめる者への、ユダヤ人たちによる迫害、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の21~23節より(以下は盲人だった男の両親のセリフからです) 『「また、だれがその目をあけて下さったのかも知り…

そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか」。「預言者だと思います」(ヨハネ9:17~21)

(今回は、目がみえなかった男の信仰が、徐々にキリストに向きつつある、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の17~21節より 『そこで彼らは(=ユダヤ人指導者(パリサイ人)たちは)、もう一度この盲人(もうじん)に聞いた…

しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」(ヨハネ9:15~16)

(今回は、目がいやされた人のできごとを聞いて、分裂するユダヤ人指導者たち、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の15~16節より 『パリサイ人(=キリストを敵視しているユダヤ人指導者)たちもまた、「どうして見えるようになったの…

イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました(ヨハネ9:10~14)

(今回は、人々と目がいやされた人のやりとり、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の10~14節より 『そこで人々は(=目がみえるようになったのをうけいれられずに、別人だとうたがっている人々は)彼に言った、「では、おまえの目はど…

シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい(ヨハネ9:6~9)

(今回は、目のみえない人に、唾(つば)のどろを塗られるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の6~9節より 『イエスはそう言って(=この人の目がみえないのは、神のみわざが彼にあらわれるためであると言って)、地につばき…

本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである(ヨハネ9:1~5)

(今回は、神のお考えのもとに神のみわざがあらわれる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・9章の1~5節より 『イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人(もうじん=目が見えない人)を見られた。弟子たちはイエスに尋…

アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである(ヨハネ8:57~59)

(今回は、キリストがくりかえしなさる神性宣言、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・8章の57~59節より 『そこでユダヤ人たちはイエスに(=実際にアブラハムに会ったかのように話すイエスに)言った、「あなたはまだ五十にもならないのに…