あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである(ヨハネ14:30~31)

(今回は、キリストは神を愛しているがゆえに十字架への道をえらばれる、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の30~31節より(以下はキリストのおことばです)

『わたしはもはや、あなたがたに(=弟子たちに)、多くを語るまい。この世の君(きみ=サタン)が来るからである(=もうまもなくでキリストは、裏切りのユダがつれてくるユダヤ人指導者らに捕らえられます。これらのできごとの裏で、糸をひいているのがサタンです)。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない(=サタンはキリストの肉体的な死には、その思わくどおりに関与しますが、霊においてはなんの影響もおよぼせません。しかも神はキリストの死を、世の罪をあがなうというご自身の計画のためにもちいられます。所詮、サタンは神の被造物(ひぞうぶつ)の一つにすぎないのです)。しかし(=キリストのご立場からしたら、サタンのたくらみをいくらでも避(さ)けれますが、しかし)、わたしが父を愛していることを世が知るように(=キリストが神を愛し、従順であることを世にしめすために)、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである(=十字架の上で、世の罪をあがなうための血をながして、この世の人々の救い主になるという、神からあたえられた使命を果たすのである)。立て。さあ、ここから出かけて行こう』

 

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(サタンからすれば、キリストを殺すことで、これ以上の宣教をさせずに、しかもユダヤ人の王とさせなかったことに成功した気になったのかもしれません。しかし神は、罪を一つもおかしていなかったキリストの血を十字架でながさせ、世の罪を転嫁させた(てんか=身代わりにひきうけさせた)供え物としてお受けとりになりました。これこそが人類救済のための神のご計画だったのです。そしてキリストもその道を忠実に歩まれました。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る(ヨハネ14:28~29)

(今回は、復活後に弟子たちにあらわれるのを、くり返しお語りになるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の28~29節より(以下はキリストのおことばです)

『わたしは去って行くが(=ユダヤ人指導者たちに捕らえられ、十字架で死ぬことになるが)、またあなたがたのところに帰って来る(=死から復活して、あなたがたを孤児としないために息をもって聖霊をさずけ、霊において一緒に住むようになる(ヨハネ20:22))』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父(=神)のもとに行くのを(=天にのぼるのを)喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである(=父なる神が、世の光としてキリストをこの世につかわしました。そしてキリストは、もともとの神のところへと帰られます。こうした神のご計画の進行にもとづいて、今後はすべての信仰者に聖霊(=助け主)があたえられることが実現します。これはすべての信仰者にとっての喜びとなります)。今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った(=預言した)。それは、事が起った時に(=十字架による死や、その死からの復活、また聖霊をさずけること、その後の昇天などが実現したときに)あなたがたが信じる(=確信をもって信じる)ためである』

 

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(このときの弟子たちは、まだ聖霊をさずかっていないので、キリストの話が理解できていません。ですが復活したキリストを目(ま)の当たりにし、聖霊をさずかったときには、これらの意味をことごとく知ることになります。そして得た信仰への確信が、キリストが天にのぼられたあとの支えにもなるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて聖霊をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる(ヨハネ14:25~27)

(今回は、昇天するキリストがのこされていく平安、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の25~27節より(以下はキリストのおことばです)

『これらのことは(=キリストが死から復活し昇天すること、また天に住まいを用意し、神が聖霊をさずけることなど、こうした諸々(もろもろ)のことは)、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主(=聖霊)、すなわち、父が(=神が)わたしの名によってつかわされる(=あなたがたにあたえられる)聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え(=十字架の死が意味することなどもすべてをおしえ)、またわたしが話しておいたことを(=キリストと過ごしていたときに聴いた話を)、ことごとく思い起させるであろう。わたしは平安を(=神の愛によって守られている人知を超えた平安を(ピリピ4:6~7))あなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える(=具体的には、霊において共に住んでくださる永遠の命のともなった平安、ということになるかと思います)。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは(=世が武力などの力によって治める平安とは)異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな(=キリストは万物を支配しておられますが、それは武力によってではありませんし、いまは神のご計画の道なかばにあります。この人類を救うご計画のなかで、まもなく十字架で殺されもするし、復活後には天に去っていくがおそれないように)』

 

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(キリストはこの場において、弟子たちを孤児とはせずに、聖霊をさずけ、一緒に住まわれることをお語りになりました。そしてこうして信仰者にあたえられる平安は、なにものにもうばいとられることはないのです(ヨハネ10:28~29)。どうか一人でも多くの方が、キリストにあっての平安をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない(ヨハネ14:23~24)

(今回は、キリストを信じずに愛さない者のところには神は住まわれない、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の23~24節より

『イエスは彼に(=なぜキリストご自身を、世全体にあらわそうとされないのですかとたずねた弟子に)答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば(=キリストを救い主と信じて愛するなら)、わたしの言葉を守るであろう(=その信仰がうわべだけでないなら、キリストのいましめを守るであろう)。そして、わたしの父(=神)はその人を愛し(=愛をもって聖霊を送り(ヨハネ14:15~16))、また、わたしたちは(=父なる神と子なる神キリストは)その人のところに行って、その人と一緒に住むであろう(=こうして信仰者の内に三位一体(さんみいったい)の神(=父、子、聖霊)が住んでくださいます)。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない(=キリストを救い主とみとめず愛さない者は、キリストのいましめを守らない。こうした者のところには神は住まわれないし、キリストもご自身をあらわされません)。あなたがたが聞いている言葉は(=こうしていまキリストが語っていることばも)、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である(=神の真理にもとづいたことばなのです)』

 

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(神はすべての人を愛しておられますが、神がおあたえになったキリストを信じない者のところには住まわれません。またキリストもご自身をあらわされません。というのも罪があがなわれずに、その問題をかかえたままの人とは、霊において一つになれないからです。そのため不信者は、不信仰でありつづけるかぎり、神の本質を知ることはありません。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である(ヨハネ14:21~22)

(今回は、キリストを信じて愛している者は、キリストのいましめを守る、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の21~22節より

『「わたしのいましめを(=キリストが語ったみことば。とくにキリストがしめしたように、あなたがたもたがいに愛しあいなさいといういましめを)心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は(=キリストを信じて、いましめを守る者は)、わたしの父(=神)に愛されるであろう(=神は真理の御霊(みたま)をあたえて共にいさせてくださいます(ヨハネ14:15~16))。わたしもその人を愛し(=すべてにまさるものとして愛し(ヨハネ10:29))、その人にわたし自身をあらわすであろう(=子なる神であるキリストのご性質をあらわし、永遠の交わりをもってくださいます)」。イスカリオテでない方のユダ(=12人の弟子の一人)がイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか(=なぜそのようなすばらしいことを、世全体にあらわそうとされないのですか)」』

 

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(キリストを信じるとは、ただその場かぎりで信じておわりではありません。こころから信じた人は、キリストのいましめを守ろうとしますし、神は人のこころをご覧になったうえで、本当の信仰者だけに聖霊をあたえられます。またキリストもその人の内に住んでくださり、ご自身をあらわされて永遠の交わりをもってくださいます。どうか一人でも多くの方がキリストを信じて、たがいに愛しあっていけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る(ヨハネ14:18~20)

(今回は、復活したキリストが弟子たちにあらわれるという預言、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の18~20節より(以下はキリストのおことばです)

『わたしはあなたがた(=弟子たち)を捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る(=十字架の死から復活して、あなたがたの前にもどってくる)。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを(=十字架で殺し、墓にいれられたキリストを)見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る(=復活したキリストをみることになる)。わたしが生きるので(=死からも復活して生きているキリストによって)、あなたがたも生きるからである(=このキリストがあなたがたの中で永遠に生きて、あなたがたも生きるようになるからである)。その日には(=彼らを孤児とせずに、キリストが復活後に息をふきかけて、聖霊をさずける日には(ヨハネ20:22))、わたしはわたしの父におり(=子なる神キリストが父なる神の内におり)、あなたがたはわたしにおり(=あなたがたがキリストの内におり)、また、わたしがあなたがたにおることが(=キリストがあなたがたの内にいることが)、わかるであろう』

 

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(神は父、子、聖霊がなす三位一体(さんみいったい)のご存在です。そしてこの神が、信仰者の一人一人に聖霊をさずけてくださいます。これによってあたらしく生まれかわった人たちは、父なる神、子なる神キリストともその霊において一つとなっているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて聖霊をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である(ヨハネ14:15~17)

(今回は、神の真理をおしえてくださる御霊(みたま)、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の15~17節より

『もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを(=キリストが語ったみことばを。とくにキリストがしめしたように、あなたがたもたがいに愛しあいなさいといういましめ(ヨハネ13:34))を守るべきである。わたしは父に(=神に)お願いしよう。そうすれば、父は別に助け主(=神の霊である御霊)を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である(=永遠のいのちをもたらす霊であるだけでなく(ヨハネ4:14)、神の真理を教えてくれる霊(ヨハネ14:26)、とりわけキリストの十字架による死の意味を悟らせてくれる霊である(ヨハネ15:26))。この世はそれを見ようともせず(=関心さえよせず)、知ろうともしないので、それを受ける(=さずかる)ことができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり(=キリストとともに過ごし、また奉仕をとおして御霊がともにいるのを体験してきたし。たとえば弟子たちは御霊によって病をいやし、悪霊を追いだしています(マタイ9:38~10:1))、またあなたがたのうちにいるからである(=これからも神が、あなたがたの内にいつづけさせるようにしてくださるからである)』

 

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(信仰者の内には、御霊(=聖霊)が住んでおり、この助け主がわたしたちを神の子にふさわしくみちびいてくださいます。具体的にはキリストへの信仰にとどまらせつづけ、みことばを理解させ、祈り、伝道をさせ、あるいは罪を認識させてふみとどまらせるなど、あらゆる面でとりなしてくださいます(ローマ8:27~28)。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて聖霊をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)