あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ(ヨハネ11:14~16)

(今回は、弟子たちの信仰が深まるのを喜んでおられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・11章の14~16節より 『するとイエスは、あからさまに彼ら(=弟子たち)に言われた、「ラザロは死んだのだ。そして、わたしがそこにいあ…

わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く(ヨハネ11:11~13)

(今回は、死んだラザロを生きかえらせるというキリストの告知、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・11章の11~13節より 『そう言われたが(=神からの守りがあるので、エルサレム方面への移動もおそれることはないと言われたが)、それか…

昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである(ヨハネ11:5~10)

(今回は、信仰者は神のご計画からはずれない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・11章の5~10節より 『イエスは、マルタとその姉妹(=妹のマリヤ)とラザロ(=マリヤの弟)とを愛しておられた。ラザロが病気であることを聞い…

この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである(ヨハネ11:1~4)

(今回は、ラザロの病をとおしての、神とキリストの栄光に関する預言、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・11章の1~4節より 『さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤ(=エルサレムのやや東にある…

ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった(ヨハネ10:40~42)

(今回は、ヨハネがバプテスマをさずけていた土地でうけいれられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の40~42節より 『さて、イエスはまたヨルダンの向こう岸(=死海の北のヨルダン川の東側)、すなわち、ヨハネが初めに…

もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい(ヨハネ10:37~39)

(今回は、神のわざをおこなうことで、神がご自分のなかにおられるのを証ししているキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の37~39節より(以下はキリストを殺そうとしている者たちへの、キリストのおことばです) 『もしわた…

あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか(ヨハネ10:34~36)

(今回は、イエスが、ご自分を神と等しい存在であるとのべても、神への冒涜(ぼうとく)にはならない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の34~36節より 『イエスは彼らに(=”あなたは自分を神としている” という理由で殺…

わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか(ヨハネ10:31~33)

(今回は、イエスを石で殺そうとするユダヤ人、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の31~33節より 『そこで(=イエスがご自分を神と等しいものとする神性宣言をしたので)ユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあ…

わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない(ヨハネ10:27~30)

(今回は、信仰者にあたえられた永遠のいのちはとりけされない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の27~30節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしの羊は(=信仰者は)わたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知…

わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている(ヨハネ10:22~26)

(今回は、神のみわざが、イエスがキリスト(救い主)であるのを証明している、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の22~26節より 『そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた(=このまつりは紀元前164年に、セレウコ…

それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか(ヨハネ10:19~21)

(今回は、イエスの話をきいて分裂する人々、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の19~21節より 『これらの言葉を語られたため(=ご自身をひつじかいにたとえ、また神からさずかった権威について語られたため)、ユダヤ人の間にまた…

父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである(ヨハネ10:17~18)

(今回は、罪のあがないのために命をすてて、それを再びうける御子(みこ)としての権威、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の17~18節より 『父は(=神は)、わたしが自分の命を捨てるから(=世の人々の罪をあがなって永遠のいの…

わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない(ヨハネ10:16)

(今回は、イスラエルの民だけでなく、異邦人も神の救いへとみちびくキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の16節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある(=イスラエルの民だ…

わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる(ヨハネ10:11~15)

(今回は、信仰者のためにいのちをもすてられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・10章の11~15節より 『わたしはよい羊飼である(=民(ひつじ)を神の救いへとみちびく者(ひつじかい)である)。よい羊飼は、羊のために命を…