あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである(ヨハネ11:1~4)

(今回は、ラザロの病をとおしての、神とキリストの栄光に関する預言、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・11章の1~4節より

『さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤ(=エルサレムのやや東にある村)の人であった。このマリヤは主に(=キリストに)香油をぬり(=信仰における献身をしめすための高価な香油をぬり。なおここではキリストの葬りのための備えとしてなされています(ヨハネ12:7))、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって(=キリストにこころからひれふしている女であって)、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロ(=マリヤの弟)であった。姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が(=あなたが愛している信仰のあるラザロが)病気をしています」と言わせた。イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない(=実際は死んでしまうので、解釈としては、死んでおわりという結末にいたるものではない)。それは(=この病気がこうしておこったのは)神の栄光のため(=神の栄光のためにもちいられるものであって。具体的にはラザロが生きかえるわざを神は用意されています)、また、神の子が(=キリストが)それによって(=神からのわざをおこなうことによって)栄光を(=御子(みこ)としての栄光を)受けるためのものである(=なおキリストは、十字架による死からの復活というかたちで、神からの栄光をおうけになります)」』

 

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(ラザロの病をとおして、神とキリストの栄光が語られていますが、このラザロの生きかえりをうけて、いよいよユダヤ人指導者たちが、キリストを殺す具体的な相談をするようになります(ヨハネ11:53)。こうした殺意が、十字架を実現させるのですから、ある意味彼らも神のご計画にかかせないのであって、とくに今回の、つよい殺意をいだかせたみわざは、御子が栄光をうけるにあたって重要なできごとになっています。どうか一人でも多くの方がキリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)