(今回は、キリストが神のみこころどおりに、信仰者をよみがえらせる、ということについてふれたいと思います)
『わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかた(=神)のみこころを行うためである。わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を(=神のえらびによってキリストのもとにあつめられた者たちを。すなわちすべての信仰者を)、わたしがひとりも失わずに、終りの日に(=世のおわりに)よみがえらせることである。わたしの父のみこころは、子(=御子(みこ)であるキリスト)を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう(=これは厳密には “携挙(けいきょ)” のことを指しています(テサロニケ1・4:15~17)。ただしこの携挙はいつおこるのかはわかりません(マルコ13:32~33)。神のご視点からは、携挙も終りの日にふくまれるもののひとつだということです)」』
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(いのちのパンであるキリストを信じた人たちには、永遠のいのちがあたえられています。神のみこであるキリストは、その聖なるご性質のゆえに、いつわりをのべることはありません。信仰者はかならず死からよみがえって、そのたましいに栄光のからだをまとうことになるのです。どうか一人でも多くの方が、永遠のいのちをさずかって、神の国で再会することとなりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)