あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある(ヨハネ5:35~36)

(今回は、キリストはほかならぬ神によってあかしされている、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・5章の35~36節より

ヨハネは燃えて輝くあかり(=ともしび。ひとときのあかり)であった(=これは比喩表現です。ヨハネはひとときのあいだ、キリストについて証言し、人々のこころをキリストにむけるはたらきをしました)。あなたがたは(=ユダヤ人。ここではとくに宗教指導者は)、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした(=楽しもうとしたが、自分たちの期待していたものではなく楽しめなかった)。しかし、わたしには(=キリストには)、ヨハネのあかしよりも、もっと力ある(=神からの)あかしがある。父が(=神が)わたしに成就(じょうじゅ)させようとして(=神のみこころどおりに救われる者をおこそうとして)お与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが(=病をいやしたりしているこのみわざそのものが)、父のわたしをつかわされたことを(=神がイエスをキリストとしてつかわしたことを)あかししている』

 

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ユダヤ人指導者たちがもとめているのは、結局は自分たちの功績をたたえ、たがいに褒(ほ)めあえる仲間でした。ですから、真理を説くヨハネともうちとけず、イエスに対しては殺意さえいだいているのです。それもイエスが病を一瞬でなおしてしまうといった、だれもがうけいれやすい神からのあかしをしめしているにもかかわらずです。どうか一人でも多くの方が、やわらかいこころをもって、キリストをうけいれますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)