あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない(ヨハネ6:41~44)

(今回は、人々を信仰にいたらせる神のえらび、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・6章の41~44節より

ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。そして言った、「これはヨセフ(=キリストの父のことで大工(だいく)です)の子イエスではないか。わたしたちはその父母を(=ヨセフとマリアを)知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか(=普通の家庭のヨセフとマリアから生まれ、こうして育てられてきたのに、なぜいまになって神のおられる天からきたなどというのか)」。イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない(=なにも理解しないまま不平や文句をいってはならない)。わたしをつかわされた父(=神)が引きよせて下さらなければ(=神のえらびにあずかっていなければ)、だれもわたしに来ることはできない(=イエスを神のみこキリストだとうけいれて信仰にいたることはできない)」』

 

――――――――――――――――――――

(神はこのさきの未来もふくめて、信仰にいたる者たちをすべて把握しておられます。というのもあらかじめ彼らをえらんだのは、神ご自身だからです(エペソ1:4~5)。ただ聖書には、信仰にいたるかどうかの人間の側の責任、要は信じない道を彼ら自身がえらんだからさばかれる、という真理も提示されていますので(ヨハネ3:18~21など)、神のえらびと、人間の自由意志(=人間の側の選択)とが両立している、とても奥が深いものになっています。それでもやはり、すべてを知ってえらんでおられるのは神なのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)