(今回は、神のえらびにあずかっている者は、神のはたらきかけによってキリストのもとにくる、ということについてふれたいと思います)
・ヨハネによる福音書・6章の44~46節より(=以下はキリストのおことばです)
『わたしは、その人々を(=神がひきよせて、キリストのもとにあたえてくださった人々を)終りの日に(=世のおわりに)よみがえらせるであろう。預言者の書に(=神の預言がしるされている旧約聖書のイザヤ書に)、『彼らはみな神に教えられるであろう(=神のえらびにあずかっている者は、神からじかにおしえられるであろう(イザヤ54:13)』と書いてある。父から聞いて学んだ者は(=神からのおしえを直接まなんだ者は。ここはエレミヤ書の表現を借りるなら、“神が、神のおしえを彼らのうちにさずけ、そのこころにしるされた者は”(エレミヤ31:33))、みなわたしに来るのである(=キリストへの信仰にいたるのである)。神から出た者のほかに(=三位一体(さんみいったい)の子なる神、キリストのほかに)、だれかが父を見たのではない(=だれも父なる神をみてはいない)。その者だけが父を見たのである(=キリストだけが神をじかに見て、知っており、そのキリストがたしかにいま神について証言しているのである)』
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(神からの救いのめぐみは、この地上にいきわたっています。ですが、わたしたちは神からのはたらきかけがなくては、神からの呼びかけに応答できない存在なのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて、神のえらびにあずかっているよろこびにつつまれますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)