あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである(ヨハネ12:36~39)

(今回は、不信者たちのこころをかたくななままにさせる神のご判断、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・12章の39~43節より

『イザヤは(=神からの使者イザヤは)また、こうも言った(=旧約聖書にこうも書きしるした)、「神は彼らの目をくらまし(=神からの救いの真理を真理と理解できず)、心をかたくなになさった(=神にこころがむかず、自分のうちにとどまるようになさった)。それは、彼らが目で見ず(=実際にキリストを見ても救い主として見れず)、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである(=自分の罪を悔い改めて救いにあずかることがないためである)」。イザヤがこう言ったのは(=こう預言したのは(イザヤ6:10))、イエスの栄光を見たからであって(=イザヤは神によって天の様子をみせられました。そこでは世を治めるキリストのすがたがあり、このときにキリストを信じない者たちがいるという預言をさずかりました(イザヤ6:1~10))、イエスのことを語ったのである。しかし、役人たちの中にも(=ユダヤ人議会の議員たちのなかにも)、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人(=イエスを殺そうとしているユダヤ人指導者)をはばかって(=気づかって)、告白は(=信仰の告白は)しなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである(=信仰を公(おおやけ)にすることで神に祝福されますが、彼らはユダヤ人指導者から良くみられていることの方をえらびました)』

 

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ユダヤ人のなかには、キリストがなさった数々のしるし(=奇跡)を見聞きしていながら、そのメシア性を(=救い主であることを)信じない者たちが多くいました。ここには神のご判断がはたらいていて、彼らのこころはとざされたままになっていたのです。ある意味彼らは、自由に(=自分の自由意志で)信仰をもてる期間を活かせなかった者たちでもあります。そして結果的にこの中から、イエスに殺意をいだく者たちがあらわれ、十字架にむかわせることになるわけです。どうか一人でも多くの方が、自分が罪人であるのをうけとめ、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)