あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう(ヨハネ10:7~10)

(今回は、救いへと通じている門であるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・10章の7~10節より

『そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに(=おもにユダヤ人指導者に)言っておく。わたしは羊の門である(=イスラエルの民を救いにいたらせる門である)。わたしよりも前にきた人は(=歪曲(わいきょく)した律法をおしつけて、民をみちびいた気になっているユダヤ人指導者たちは)、みな盗人であり、強盗である(=神から民をうばっている盗人や強盗である)。羊は(=神のみわざのもとにある民は(=たとえば盲人だった男などは))彼らに聞き従わなかった。わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ(=永遠に救われ)、また出入りし、牧草にありつくであろう(=神のやしないのもとにおかれるだろう。なお “出入りし” という表現がありますが、これは神の救いとやしないのあいだを行き来しているのですから、神のめぐみのもとにおかれた信仰者の自由なすがたを意味しているものと思います)。盗人が来るのは、盗んだり(=民を自分たちの支配下におくためだったり)、殺したり(=自分たちにしたがわなければ殺したり)、滅ぼしたり(=神のみこころに逆らわせつづけて、魂をもほろびにいたらせたり)するためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ(=霊において死んでいる状態から回復させて)、豊かに得させるためである(=永遠のいのちのもと神とのゆたかなまじわりを得させるためである)』

 

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(イエスご自身が “ひつじかい” であるとの比喩が、ユダヤ人指導者にはつたわらなかったので、今回はご自身を “ひつじの門” とたとえておられます。ここでの “ひつじかい” とは、ひつじ(民)を神の救いへとみちびく存在であり、そして “ひつじの門” とは、ひつじ(民)を神の救いへといたらせる存在ですから、どちらもイエスがメシア(救い主)であることを意味しています。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)