あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

羊はその声を知っているので、彼について行くのである(ヨハネ10:1~6)

(今回は、信仰者はキリストの声をききわける、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・10章の1~6節より(以下はキリストのおことばです)

『よくよくあなたがたに(=おもにユダヤ人指導者たちに)言っておく。羊の囲いに(=神の民としてのイスラエルのなかに)はいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である(=これは歪曲(わいきょく)した律法によって、民を神のあゆみからはずさせて、自分たちの支配下においているユダヤ人指導者たちのことです)。門からはいる者は(=キリストは)、羊の羊飼である(=民(ひつじ)を神のみこころどおりにみちびく者(ひつじかい)である)。門番は彼のために門を開き(=ここでの門番とは、これまでにキリストの到来を預言することで、メシア(救い主)の存在を民にうけいれやすくしてきた者たち(預言者)のことだと思います)、羊は彼の声を聞く(=そして神のみわざのもとにおかれている民は(=たとえば盲目だった男などは)、キリストの声をききわけます)。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す(=自分の名がよばれない者はつれだされません)。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。ほかの人(=キリスト以外の者。たとえばユダヤ人指導者)には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった(=こうした比喩をあたえられても、ユダヤ人指導者には、自分たちが民を誤った方向にむかわせているとの自覚がないので、話の本質にたどりつけず、理解することができません)』

 

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(上記は盲人だった男の記述からのつづきになっています。まさに彼は、ユダヤ人指導者から離れて、キリストの声につきしたがっていく道をたどりました。どうか一人でも多くの方が、キリストの声にしたがって、神に立ちかえりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)