あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた(ルカ2:41~47)

(今回は、少年にして神にもとづいた知恵に富まれているイエス、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の41~47節より

『さて、イエスの両親は、過越の祭(すぎこしのまつり=かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民(ユダヤ人)を、神がエジプトに災いをもたらして脱出させたことにちなんだまつり)には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために(=エルサレム神殿で神を礼拝するために(申命記16:16))上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。そして道連れ(みちづれ=一緒に帰っている同行者)の中にいることと思いこんで、一日路(いちにちじ=一日で進める道のり)を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜(さが)しはじめたが、見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。そして三日の後に、イエスが宮(=エルサレム神殿)の中で教師たち(=聖書をおしえる人たち。いわゆる律法学者たち)のまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞く人々はみな、イエスの賢(かしこ)さやその答に驚嘆していた(きょうたん=おどろいて感心した)』

 

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(キリストは、およそ三十歳のときに公生涯(こうしょうがい=本格的に宣教された期間)に入られますが、ある日をさかいに急に神の知恵に富まれたというものではありませんでした。その体の成長とともに、霊において強くなられ、聖書にもとづいた知恵や、神性さ(=神の聖なるご性質)のともなった知恵(コロサイ2:2~3)に富まれていったのです(ルカ2:40)。どうか一人でも多くの方が、救い主キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)