あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか(ルカ2:48~52)

(今回は、神の御子としての自覚をもたれている少年のイエス、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の48~52節より

『両親はこれを見て驚き(=迷子と思っていたイエスが、エルサレム神殿で律法学者たちと神について語りあっているのにおどろき)、そして母(=マリヤ)が彼に言った、「どうして(=一緒に帰らずに)こんな事をしてくれたのです(=この表現から、おそらくイエスはひと区切りつくなりして、輪の外につれだされています)。ごらんなさい、おとう様(=父のヨセフ)もわたしも心配して、あなたを捜(さが)していたのです」。するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家に(=ここでいう “自分の父” とは、神のことです。その神の家であるエルサレム神殿に。あるいは神の事柄の中に)いるはずのことを、ご存じなかったのですか」。しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった(=我が子のイエスが自分の父といえば、両親からすれば父ヨセフのことが思いうかびます。それでイエスのことばを理解できずにいます。それに彼らからすると、イエスがどのように神からの使命を果たしていくのかについて、想像がおよんでいない面があります)。それからイエスは両親と一緒にナザレ(=自分たちが住んでいる町)に下って行き、彼らにお仕えになった(=イエスは自分の父を神としながらも、両親にも従順でした)。母はこれらの事を(=少年イエスの言動を)みな心に留めていた。イエスはますます知恵が加わり(=聖書にもとづく知恵、また神性さ(=神の聖なるご性質)のともなった知恵(コロサイ2:2~3)に満ちて)、背たけも伸び、そして神と人から愛された』

 

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(本来ユダヤ人にとって、神を自分の父だとする発言は罪にあたります。それは自分を神と等しい存在にしているとみなされるからです(ヨハネ5:18)。こうした中でイエスがその真実をもって、神が自分の父であることを(=これは裏をかえせば、自分が神の御子(みこ)であるのを)口にされたわけですが、まだ両親には理解ができませんでした。これは聖霊をうけることによって、理解がともなってくるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

※補足として、イエスキリストは、父なる神、子なる神、霊なる神、という三位一体(さんみいったい)の神としての、子なる神にあたるお方です。このご立場においてのキリストの父は、神であるのです。そしてこのキリストが、地上で人間としてお生まれになる際に、ヨセフとマリヤという両親をもつにいたりました。いわば神性における父が神で、人性における両親がヨセフとマリヤということなのです。