(今回は、神のみわざが、イエスがキリスト(救い主)であるのを証明している、ということについてふれたいと思います)
『そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた(=このまつりは紀元前164年に、セレウコス朝のアンティオコス・エピファネスからエルサレム神殿を奪還し、それ以来つづけられているものです)。時は冬であった。イエスは、宮の中にあるソロモンの廊(ろう=神殿を囲っている東側の廊下)を歩いておられた。するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい(=彼らにとっては、イエスをキリストとみとめるにはまだ不十分でした。そこでこの場で決着をつけようと迫っています)」。イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが(=イエスはご自身の神性宣言をまじえ、これまでもご自分が永遠のいのちをもたらす救い主であることをのべてきました)、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが(=神のみこころにしたがっておこなっている病のいやしなどが)、わたしのことを(=イエスがキリストであるのを)あかししている。あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである(=これは究極的には、あなたたちが神のえらびにあずかっていないということです)』
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(もし神のみわざ(=病のいやしなどの奇跡)を一つもしめさずに、自分が救い主だとのべても説得力にかけてしまいます。これに対しイエスは、実際に多くの病をいやしたうえで、ご自分を信じる者は救われると公言しておられました。それにもかかわらず信じずにいる者たちが、イエスをとりかこんでいる状況がしめされています。どうか一人でも多くの方がキリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)