あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう(ヨハネ15:22~24)

(今回は、キリストが神をあらわし、不信者はそれを見聞きしたうえで拒んだ、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・15章の22~24節より(以下はキリストのおことばです)

『もしわたしがきて彼らに(=不信者たちに神についてのこと、またご自身が世の罪をあがなう救い主であることを)語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう(=彼らは話を聞いたうえで、神につかわされたキリストを憎み、迫害する罪をおかしました)。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない(=迫害したことは事実としてのこります)。わたしを憎む者は、わたしの父(=神)をも憎む(=キリストがしめされたご性質を憎むのであれば、それと同じご性質であられる神をも憎むのです)。もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを(=たとえば病のいやしや、死者をよみがえらせるといった神にしかできないわざを)、わたしが彼らの間でしなかったならば(=彼らに実践して見せなかったならば)、彼らは罪を(=キリストを迫害するという罪を)犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て(=キリストとキリストをとおしてあらわされた神のわざ(=神のご存在)を目(ま)の当たりにしたうえで)、憎んだのである』

 

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(もし不信者たちが、キリストと出会うことなく、神のわざも見聞きしていなかったなら、迫害することもありませんでした。しかし彼らは見聞きしたうえでキリストを憎み、それぞれの人生にキリストを迫害したという、神への敵対の罪を増しくわえたのです。どうか一人でも多くの方が、こうした教訓にふれられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)