(今回は、おこないではなく信仰によって救われる、ということについてふれたいと思います)
『そこで、彼らは(=永遠のいのちにいたる食物のためにはたらくがよい、と言われた彼らは)イエスに言った、「神のわざを行うために(=神に義とされるおこないをするために)、わたしたちは何をしたらよいでしょうか(=“はたらくがよい”と言われた彼らは、おこないによって神にみとめられようとしています)」。イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである(=キリストを信じるという信仰こそが、神へのはたらきそのものである)」。彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか(=彼らは病のいやしや食料をうみだすしるしをみたにもかかわらず、まだ要求しています)。どんなことをして下さいますか。わたしたちの先祖は(=出エジプトのときに)荒野でマナを(=モーセより天からのパンをさずかって)食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と(詩編78:24~25に)書いてあるとおりです(=彼らはモーセの偉業をあげて、あなたがキリストなら、これに匹敵することをしてほしいともちかけています)」』
――――――――――――――――――――
(上記の律法主義者たちは信仰ではなく、自分のおこないによって、永遠のいのちを勝ちとろうとしています。そしてキリストに対しては、あなたを信じてもよいが、それならモーセがしたしるしと同等のことをしてほしいともちかけています。このつづきは次回みることにします。どうか一人でも多くの方が、神からの恵みに目をむけて、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)
――――――――――――――――――――
父なる神さま、
わたしは自分が罪人であるのを告白します。
このようなわたしのために、イエスさまが罪をひきうけて、
十字架にかかってくださいました。
そしてお墓にいれられ、三日目に父なる神によって死から復活させられました。
このことを信じるわたしを、これからもみちびいてください。
あなたからのめぐみと、あたえられた永遠のいのちに感謝いたします。
アーメン。