あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう(ヨハネ5:20~21)

(今回は、キリストも神とおなじ権威をもちいて、永遠のいのちをおさずけになる、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・5章の20~21節より

『そして、それよりも(=神のみこころにしたがってなされる肉体的ないやしよりも)なお大きなわざを(=神のみこころにしたがってなされる霊の救いを)、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである(=彼らは目でみえる、肉体のいやしに対してさえ、神のみこころをよみとれませんでした。これが目でみえない霊のこととなれば、いっそう理解できず、不思議がる(=あやしむ)ほかありません)。すなわち、父が(=神が)死人を起して命をお与えになるように(=これは彼らもみとめるところです。ユダヤ人は自分たちの先祖、アブラハムやイサク、ヤコブたちが甦(よみがえ)り、カナンの地で(=現イスラエルの地で)永遠に生きることを信じています)、子もまた(=キリストも神とおなじように)、そのこころにかなう人々に(=イエスをメシア(救い主)と信じる人たちに)命を(=生ける水を。すなわち霊に属した永遠のいのちを)与えるであろう(=彼らにとっては、神ならできるとみとめていることも、この目の前にいるイエスがするとなると、それは神への冒涜(ぼうとく)だということになります。ですが事実イエスは、神と等しい権威をもつ神の御子(みこ)なのですから、父のみこころにしたがって、永遠のいのちをさずけることのできるお方なのです。このことが理解できない彼らは、すでに殺意をいだいているわけですが、これが最終的には十字架の刑によってはたされることになります)』

 

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(神の願いは、この地上で生きる人々が救われることです。そして神のみこころにしたがっているキリストの願いも、人々が救われることなのです。父も子もこのことのためにおはたらきになっています。どうか一人でも多くの方が、キリストによる罪のあがないを信じて、永遠のいのちをさずかりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)

 

 

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父なる神さま、

わたしは自分が罪人であるのを告白します。

このようなわたしのために、イエスさまが罪をひきうけて、

十字架にかかってくださいました。

そしてお墓にいれられ、三日目に父なる神によって死から復活させられました。

このことを信じるわたしを、これからもみちびいてください。

あなたからのめぐみと、あたえられた永遠のいのちに感謝いたします。

アーメン。