(今回は、神はすべてのさばきをおこなう権限を、キリストにお与えになっている、ということについてふれたいと思います)
『父は(=父なる神は)だれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである(=神はキリストに、すべてのさばきをおこなう権威をあたえておられます)。それは、すべての人が父を敬(うやま)うと同様に、子を敬うためである(=人間にとって、神の権威をもって永遠のいのちをあたえたり、さばきをおこなったりするお方は、うやまわずにはいられない存在です。ですからその権威をお与えになった神も、お受けとりになったキリストも、わたしたちはうやまうことになります)。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない(=キリストをうやまわないことは、神をもうやまっていないことのあらわれになります)。よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて(=神をあかししているキリストのことばをきいて)、わたしをつかわされたかたを(=イエスをメシア(救い主)として地につかわされたかたを)信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に(=霊において死んでいた状態から永遠のいのちに)移っているのである』
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(神は、永遠のいのちをあたえる権限だけでなく、最後の審判においてさばきをおこなう権限もキリストにお与えになっています。ですからわたしたちが、神(=父)もキリスト(=子)もうやまっていくのは自然のことなのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて、永遠のいのちをさずかりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)