あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた(ヨハネ6:11~15)

(今回は、すくない食糧から大勢の食をみたす奇跡、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・6章の11~15節より

『そこで、イエスはパンを取り、感謝(=神に感謝)してから、すわっている人々(=ユダヤ人の群衆)に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた(=5つのパンと2ひきのさかなを元手に、わけあたえるぶんの食糧をうみだされています)。人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように(=神からのめぐみをむだにしてしまうことがないように)、パンくずのあまりを集めなさい」。そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった(=食べのこしのくずが元のパンよりふえています。群衆はいままさに神のめぐみにふれたわけですが、この先もキリストをとおしてもたらされる神のめぐみが、イスラエルの12部族(=12のかご。要はすべてのユダヤ人)をみたすのに十分であるのを象徴しているものと思います。ただしこの永遠のめぐみにあずかるには、キリストを信じる必要があります)。人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者(=神からの使者)である」と言った(=彼らは “モーセのような預言者” ということばをかさねあわせています(申命記18:18))。イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた(=しかし彼らは、キリストをほんとうのところでは理解していませんでした。自分たちの病をいやし、食べ物もあたえてくれるので、そのキリストを十分に利用しようと、自分たちの王にしてもうどこにもいかせまいとしています)』

 

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(キリストは、大勢を満足させるだけのパンとさかなをわけあたえられました。しかし彼らのほうでは、神からのめぐみに目がむかずに、もっとなにかを得ようと、むりにでも自分たちの王にしてしまおうとしています。そうした彼らの思わくを知って、イエスはその場を静かにしりぞかれました。どうか一人でも多くの方が、神からの愛とめぐみにふれて、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)