(今回は、キリストこそが、神がこの世にあたえたいのちのパンである、ということについてふれたいと思います)
『彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンを(=この世にいのちをあたえる天からのまことのパンを)いつもわたしたちに下さい」。イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである(=わたしこそが、神が人々に永遠のいのちをもたらすために世におあたえになった、いのちのパンである)。わたしに来る者は(=つきしたがう者は)決して飢えることがなく(=くちない霊的な食物によってうえることがなく)、わたしを信じる者は決してかわくことがない(=霊的な生ける水によってかわかない)。しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに(=キリストが病のいやしや食べ物をうみだす奇跡をとおして、ご自身がメシア(救い主)であるのをしめし、たしかにそれをみたのに)信じようとはしない。父が(=神が)わたしに与えて下さる者は皆(=神の選(えら)びにあずかっている者はみな(エペソ1:4~5))、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒(こば)みはしない(=すべてをうけいれてくださいます)』
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(上記には、キリストこそが永遠のいのちをもたらすパンであることがしるされています。またこのパンにあずかる人たちが、あらかじめ神のえらびにあずかっていることもしるされています。ただ聖書には、信仰に対する人間の側の責任、要は信じない道をえらんだからさばかれるという真理も提示されていますので(ヨハネ3:18~21など)、神のえらびと、人間の自由意志(=人間の側の選択)とが両立している、とても奥が深いものになっています。いつか機会がありましたら、くわしくみていきたいと思っています。どうか一人でも多くの方が、永遠のいのちをあたえてくださるキリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)
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父なる神さま、
わたしは自分が罪人であるのを告白します。
このようなわたしのために、イエスさまが罪をひきうけて、
十字架にかかってくださいました。
そしてお墓にいれられ、三日目に父なる神によって死から復活させられました。
このことを信じるわたしを、これからもみちびいてください。
あなたからのめぐみと、あたえられた永遠のいのちに感謝いたします。
アーメン。