あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました(ヨハネ9:10~14)

(今回は、人々と目がいやされた人のやりとり、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・9章の10~14節より

『そこで人々は(=目がみえるようになったのをうけいれられずに、別人だとうたがっている人々は)彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアム(=シロアムという池)に行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました(=ありのままを話しています)」。人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人(=キリストを敵視しているユダヤ人指導者)たちのところにつれて行った。イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日(=律法にある7日ごとにおとずれる労働をしてはならない日)であった(=ユダヤ人は病をいやすこともしてはならないときめつけていました。しかしキリストは神のみこころにしたがっているので、安息日にも病をいやすことは律法をおかしていない、というのをしめしておられます)』

 

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(上記の人々は、彼の目がいやされたこと(=神のみわざがあらわれたこと)に対して、よろこびをしめすというよりも、事の真相をさぐるように質問をくりかえしています。そして安息日がかさなっていたこともあり、一連のできごとの是非(=善し悪し)を問うようにユダヤ人指導者のところにつれていっています。どうか一人でも多くの方が、かたいこころをすてて、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)