あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい(ヨハネ7:22~24)

(今回は、神のおしえにもとづいて、ただしくさばきなさい、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・7章の22~24節より(=以下はキリストのおことばです)

モーセはあなたがたに割礼(=かつれいとは、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、生まれて8日目に、性器の包皮の一部を切除すること)を命じたので、(これは、実は、モーセから始まったのではなく、先祖たちから(=アブラハムのときから)始まったものである)あなたがたは安息日にも(=労働をしてはならない日にも)人に割礼を施(ほどこ)している(=生まれた8日目にかさなった際は、割礼をおこなっている)。もし、モーセの律法が破られないように(=割礼と安息日の両方をまもるために)、安息日であっても割礼を受けるのなら(=肉体に刃をいれる割礼は労働にあたらないとみなすのなら)、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって(=肉体をいやしたからといって)、どうして、そんなにおこるのか(=自分たちの基準で、割礼をほどこすのはゆるすが、病をいやすのはゆるさないとして、なぜおこるのか)。うわべで人をさばかないで(=うわべの体裁(ていさい)ばかりで人をさばかないで)、正しいさばきをするがよい(=神のみこころ、おしえにしたがってさばきをするがよい)』

 

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(もともと安息日とは、週に1日、はたらくのをやめて神を礼拝するためにさだめられたものでした。それが月日をへて、たとえば荷物をはこぶだけでも労働にあたる、という具合に、あたかも民衆の行動を制限するものへと変貌(へんぼう)していきました。こうしたなかにあって、割礼だけはしてもよいとしていたわけですが、ここにキリストがあらわれて、病をいやすやいなや(=それも神のみこころにしたがっていやしたにもかかわらず)、労働をしたとして怒りをおぼえているのです。どうか一人でも多くの方が、やわらかいこころをもって、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)