(今回は、目がいやされた人のできごとを聞いて、分裂するユダヤ人指導者たち、についてふれたいと思います)
『パリサイ人(=キリストを敵視しているユダヤ人指導者)たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に(=さきほどまで目がみえなかった人に)尋ねた。彼は答えた、「あのかたが(=イエスが)わたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました(=神のみわざがあらわれた、そのありのままを話しています)」。そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日(=律法にある7日ごとにおとずれる労働をしてはならない日)を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々(=ほかのパリサイ人)は言った、「罪のある人が(=神の律法をおかし、みこころにしたがわない人が)、どうしてそのようなしるしを(=盲目をいやすという奇跡、神のみわざを)行うことができようか」。そして彼らの間に分争(ぶんそう=分裂)が生じた』
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(上記のように、目がいやされた人をとおして分裂が生じています。一方では自分たちの律法の解釈にもとづいて罪とみなし、一方では実際におこったしるしにもとづいて神のみわざのあらわれととらえています。もちろん後者がただしいわけですが、これまでもパリサイ人たちは、自分たちの信仰のあやまちをいくどとなく指摘されてきたので、イエスに殺意さえいだいている者がいるのが現状です。どうか一人でも多くの方が、やわらかいこころをもって、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)