(今回は、ユダヤ人指導者たちによる、キリストを陥(おとしい)れるための質問、についてふれたいと思います)
『イエスはオリブ山(=エルサレムの東にある山)に行かれた。朝早くまた宮(=エルサレム神殿)にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。すると、律法学者たちやパリサイ人たちが(=キリストを敵視しているユダヤ人指導者たちが)、姦淫(かんいん=既婚者との浮気など)をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと(=死刑を)命じましたが(レビ記20:10)、あなたはどう思いますか」。彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった(=この質問自体が、じつはイエスをおとしいれるものになっています。もしイエスがこの女を赦(ゆる)すように言えば、モーセの律法に違反したとしてうったえることができます。また一方で、石で打ちころせと言えば、今度はユダヤを支配しているローマ帝国の、その総督(そうとく)の許可なしに、人の死刑を宣告したとしてうったえることができます(ヨハネ18:31)。ですからどちらで答えても、イエスを捕らえられる質問になっているのです)』
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(もしイエスが、女を死刑にせずにゆるすように言えば、モーセの律法にさからった者として、神からの使者(=メシア(救い主))ではないということになります。ですから上記の場合、石で打ちころすという律法を貫いて、ローマに捕らえられるしか方法がないのです。ですが、これではたしかに律法を守ることにはなりますが、神のあわれみや恵みをもとめてあつまっている民衆の支持を失ってしまいますし、またローマに捕らえられれば、そこで宣教もとだえてしまいます。この問いへのキリストのおことばは次回みることにします。どうか一人でも多くの方が、聖書に興味をもって、手にとることとなりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)