あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか」。「預言者だと思います」(ヨハネ9:17~21)

(今回は、目がみえなかった男の信仰が、徐々にキリストに向きつつある、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・9章の17~21節より

『そこで彼らは(=ユダヤ人指導者(パリサイ人)たちは)、もう一度この盲人(もうじん)に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を(=イエスを)、どう思うか」。「預言者(=神からの使者)だと思います」と彼は言った(=ここにきて彼は “預言者” と口にしました。彼のなかでイエスの存在がいよいよ大きくなっています)。ユダヤ人たちは(=ユダヤ人指導者や、ここに彼をつれてきた人々は)、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じなかった(=イエスに対してこころがかたくなになっているので、実際に目の前でおこったしるし(=神のみわざのあらわれ)をうけとめられずにいます)。ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、尋ねて言った(=イエスがしたことをみとめたくないので両親までよびつけています)、「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っているむすこか。それではどうして、いま目が見えるのか」。両親は答えて言った、「これがわたしどものむすこであること、また生れつき盲人であったことは存じています。しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません(=両親は彼らの怒りをまねかないように、ことばすくなにうけこたえしています)」』

 

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(権力のあるユダヤ人指導者たちが、イエスを敵視していたことはすでにひろまっていました。この背景のなかで盲人だった男は、威圧的な状況にも屈せずに、イエス預言者だと言って、しっかりと証しを立てました(=ただしこの時点では、まだキリスト(救い主)だという理解にはいたっていません)。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)