あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです(ヨハネ9:24~27)

(今回は、迫害をおそれずに、イエスとの体験のままを語っている盲人だった男、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・9章の24~27節より

『そこで彼らは(=ユダヤ人指導者たちは)、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい(=神に栄光を帰するなら、神の前で正直に答えよ)。あの人(=イエス)が罪人であることは(=安息日をやぶったのは)、わたしたちにはわかっている」。すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません(=安息日に病をいやすことが、ほんとうに罪にあたるのか、わたしにはわかりません)。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲(もう)であったが、今は見えるということです(=こうして神のみわざがあらわれて、目が治ったということです)」。そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした(=イエスがどろを目に塗り、言われたとおりに池であらったと説明したのに、あなたたちは聞く耳をもっていません)。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか(=イエスがしてくれたことをみとめる気がないのに、しつこく聞いてくるので、嫌味をこめてかえしています)」』

 

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(上記では、イエスを敵視しているユダヤ人指導者たちに対して、体験したままを語っている男の姿勢がみてとれます。ことによっては命の危険さえある状況ですが、彼はしっかりとイエスがなさったことを証ししています。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて、みこころに忠実にあゆんでいけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)