あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

群衆の間にイエスのことで分争が生じた(ヨハネ7:40~44)

(今回は、キリストをめぐって分裂する人々、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・7章の40~44節より

『群衆のある者がこれらの言葉(=いずれは聖霊をさずけるというイエスの宣言)を聞いて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者である(=モーセのような預言者である(申命記18:18))」と言い、ほかの人たちは「このかたはキリストである(=メシア(救い主)である)」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤ(=田舎のガリラヤ)からは出てこないだろう。キリストは、ダビデ(=神への信仰のあった、かつてのイスラエルの王)の子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村(=エルサレムの近くにあるダビデの生まれ故郷)から出ると、聖書に書いてあるではないか(ミカ5:2)」と言った。こうして、群衆の間にイエスのことで分争(ぶんそう=分裂)が生じた。彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった(=神からの守りがあるために、だれもイエスに手をかけられませんでした)』

 

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(上記には、イエスを信じない人たちの思いこみがしるされています。まずイエスの父ヨセフはダビデの子孫です(マタイ1:1~16)。また母マリアもダビデの子孫です(ルカ3:23~38)。これにくわえて、イエスベツレヘムで誕生しています(=このときは折しも住民登録のタイミングがかさなっています(ルカ2:4~7))。このようにイエスは聖書預言をみたしているのですが、彼らは勝手にガリラヤ生まれで、ダビデの子孫ではないと思いこんで、キリストではないときめつけてしまっているのです。どうか一人でも多くの方が、かたいこころをすてて、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)