(今回は、殺意さえいだいている者たちがいるまつりへと、ひそかに行かれるキリスト、についてふれたいと思います)
『しかし、兄弟たちが祭に(=エルサレムでの仮庵(かりいお)のまつりに)行ったあとで、イエスも人目にたたぬように、ひそかに行かれた。ユダヤ人らは(=とくにユダヤ人指導者たちは)祭の時に、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜(さが)していた(=警戒して気にしていました)。群衆の中に、イエスについていろいろとうわさが立った。ある人々は、「あれはよい人だ(=神からの使者、預言者だ)」と言い、他の人々は、「いや、あれは群衆を惑わしている(=にせ預言者だ)」と言った。しかし、ユダヤ人らを恐れて(=ユダヤ人指導者たちはイエスを敵視していたので、イエスを良く言おうものなら目をつけられてしまいます)、イエスのことを公然と口にする者はいなかった』
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(上記には、イエスに注目があつまっているけれど、それを公然と口にだせない状況がしるされています。それだけ権力をもった指導者たちが、にらみをきかせていたことになります。しかしキリストはエルサレムでのまつりへと、みこころにしたがって足をはこばれました。どうか一人でも多くの方が、聖書に興味をもって、手にとることとなりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)