あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている(ヨハネ7:6~9)

(今回は、十字架のときはまだきていない、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・7章の6~9節より

『そこでイエスは彼らに(=弟たちに)言われた、「わたしの時はまだきていない(=神のみこころ(=ご計画)にそっての、十字架のときはまだきていない)。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている(=あなたがたが悔いあらためて信仰にいたる機会は、いつでも用意されている)。世はあなたがたを憎み得ないが(=悪魔の支配下にある世は、悪魔の支配におかれたままのあなたがたをにくむことはないが)、わたしを(=神の御子(みこ)キリストを)憎んでいる。わたしが世のおこないの悪いことを(=この世でいかに悪がおこなわれているかを)、あかししているからである(=それゆえに単に目立つ方法をとっていては、神のご計画よりもさきに命をうばわれてしまう危険がある。世からにくまれずにいるあなたがたとは、おかれている状況が異なっているのだ)。あなたがたこそ祭に行きなさい。わたしはこの祭には行かない(=あなたがたが望んでいるようなかたちでは行かない)。わたしの時はまだ満ちていないから(=十字架のときはまだきていないから)」。彼らにこう言って、イエスガリラヤにとどまっておられた』

 

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(キリストはつねに神のみこころにしたがって行動をとられます。ガリラヤにとどまったのちに、キリストもこのまつりに出向くことになりますが、弟たちが望むような、公(おおやけ)に目立つ方法はとられませんでした。また大切なのは、世に属している人たちにとっても、救いのときはいつでも用意されているということです。どうか一人でも多くの方が、この神のめぐみに目をむけて、キリストによる罪のあがないをうけとりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)