あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう(ヨハネ6:52~55)

(今回は、霊においてキリストの肉をたべ、血をのむ、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・6章の52~55節より

『そこで、ユダヤ人らが互(たがい)に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか(=彼らは物質的な肉と思っているので理解がともなってきていません)」。イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず(=キリストが世の人々の罪の身代わりに、十字架でからだ(肉)を裂かれ、死なれたと信じていれば、贖罪(しょくざい)としてのキリストの肉を、霊においてうけとり、たべたことになります)、また、その血を飲まなければ(=キリストがその十字架上で血をながして、死なれたと信じていれば、贖罪としてのキリストの血を、霊においてうけとり、のんだことになります。なお十字架上での血には、永遠のいのちに関する、神との新たな契約を完成してくださったという意味があります(ルカ22:20))、あなたがたの内に命はない(=これらを信じていなければ、永遠のいのちはあたえられない)。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日に(=世のおわりに)よみがえらせるであろう。わたしの肉はまことの食物(=神との交わりを回復させ、永遠のいのちをもたらす霊におけるまことの食物)、わたしの血はまことの飲み物(=神との交わりを回復させ、永遠のいのちをもたらす霊におけるまことの飲み物)である」』

 

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(わたしたちは、罪をあがなってくださったキリストの十字架を信じることで、その霊においてキリストの肉をたべ、血をのんだ者とされています。そしてこの肉と血にあずかった者には、永遠のいのちがあたえられ、復活が約束されているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストの十字架を信じて、永遠のいのちをさずかりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)

 

なお贖罪についてくわしく知りたい方は、このサイト内で ”贖罪” で検索をかけて、2022/11/13のヨハネ1:29~31の記事を参照してください。