あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる(ヨハネ6:56~59)

(今回は、霊においてキリストと一つになる、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・6章の56~59節より

『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は(=キリストの十字架による罪のあがないを信じて、その霊においてキリストの肉をたべ、血をのんだ者は)わたしにおり(=キリストのうちにとどまっており)、わたしもまたその人におる(=キリストもその人のうちにとどまっている。いわば霊において一つとなった関係のなかにおかれています)。生ける父が(=いのちそのものである神が)わたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように(=神の霊とのむすびつきによって生きているように。反対に霊が切りはなされることは死を意味します)、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう(=キリストの霊とむすびつくことで、キリストと一つである神ともむすびつき、生きるであろう)。天から下ってきたパンは(=キリストがもたらすいのちのパンは)、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない(=出エジプトの際のマナとはちがう)。このパンを食べる者は、いつまでも(=永遠に)生きるであろう」。これらのことは、イエスがカペナウム(=ガリラヤ湖の北の町)の会堂(=礼拝をおこなうユダヤ教の会堂(シナゴーグ))で教えておられたときに言われたものである』

 

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(父なる神と御子(みこ)キリストは、霊において一つです。そしてわたしたちは、仲介者であるキリストを信じることで、キリストの霊と一つになり、父なる神とも一つになるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストによる罪のあがないを信じて、霊における一致のなかにおかれますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)