あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない(ヨハネ6:60~63)

(今回は、人を生かすのは、キリストからあたえられる霊によってである、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・6章の60~63節より

『弟子たちのうちの多くの者は(=イエスについてきてはいたが、ほんとうの信仰にいたってなかった者たちは)、これを聞いて(=キリストの肉をたべ、血をのむ者には、永遠のいのちがあたえられ、しかもキリストと一つになるという話を聞いて)言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか(=彼らは肉や血の話をふくめ、すべて物質的なものとしてとらえているので、理解がともなってきていません)」。しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを(=不平や文句をいっているのを)見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずき(=信仰にいたらないさまたげ)になるのか。それでは、もし人の子が(=キリストが)前にいた所(=かつていたところ)に上るのを見たら(=神のおられる天にのぼるのを見たなら。これは十字架の死からの復活と、昇天(しょうてん)を暗示するかたちで預言しておられます)、どうなるのか。人を生かすものは霊(=キリストによってあたえられる霊)であって、肉はなんの役にも立たない(=仮に物質としてのキリストの肉をたべたところで、それはなんの役にもたちません。十字架で罪をあがなってくださったキリストを信じることで、霊におけるキリストの肉と血をうけとり、ひいては神とキリストの一つの関係のなかにいれられることで、信仰者は永遠のいのちをさずかっているのです)』

 

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(この肉体は死んでしまえば朽(く)ちるものです。ですが霊は、キリストによる罪のあがないを信じていれば、神とも一つになった関係のなかにおかれているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストの十字架を信じて、いのちである霊をうけとりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)