あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行く(ヨハネ7:33~36)

(今回は、十字架による死からの復活後に、天に昇られるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・7章の33~36節より

『イエスは言われた、「今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに(=十字架後に復活して、天におられる神のもとに)行く。あなたがたはわたしを捜す(=この地上においてさがす)であろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない(=信仰がないので、その死後においても神の国にはいることはできない)」。そこでユダヤ人たちは互(たがい)に言った、「わたしたちが見つけることができないというのは、どこへ行こうとしているのだろう(=キリストの話が理解できておらず、キリストが天に昇るという発想がもてていません)。ギリシヤ人の中に離散している(りさん=ちらばっている)人たちのところにでも行って、ギリシヤ人を教えよう(=彼らに宣教しよう)というのだろうか。また、『わたしを捜すが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所には来ることができないだろう』と言ったその言葉は、どういう意味だろう(=このように理解がともなっていない状態にありました)」』

 

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(上記から約2000年がたちましたが、ある意味ユダヤ人は、いまもキリストをさがしつづけているのです。彼らがキリストに出会うのは、これからむかえる艱難期(かんなんき=世のおわりの、神によるさばきの期間)において、自分たちがキリストを十字架にかけてしまったのに気がつき、悔いあらためたあとでのことになります(マタイ23:39)。どうか一人でも多くの方が、先延ばしにせずに、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)