あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ(ヨハネ8:55~56)

(今回は、信仰によって、救いがもたらされる未来をも確信して見ることができる、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・8章の55~56節より(=以下はキリストのおことばです)

『あなたがたはその神を(=まことの神を)知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと(=神を知っているのに知らないと)言うならば、あなたがたと同じような(=神を知らないのに知っているとうそをつくあなたがたと変わらない)偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言(みことば=神のおしえ。聖書にしるされていること)を守っている。あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を(=神はアブラハムに、彼と彼の子孫のユダヤ人を、カナンの地(=現イスラエルのあたり)に永久に住まわせると約束なさいました(創世記17:8)。しかし神は罪をさばくお方ですから、この地にはいるには、信仰によって罪がゆるされていなければなりません。この罪のあがないをもたらしてくれるのがキリストなのですが、そのキリストがいま、この地上において神の真理を説き、救いを実現してくださっています。まさにこの救いをもたらしてくれる日を)見ようとして楽しんでいた(=こころまちにしていた)。そしてそれを見て喜んだ(=そして神からの約束が救い主(=キリスト)によって果たされるのを、信仰をとおして確信をもって見て、よろこんでいたのだ)』

 

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アブラハムは、キリストが地上で宣教するよりもさらに2000年ほどまえの人物です。その彼は、実際にキリストが宣教している姿を見ずとも、自分の子孫たちを救いへとみちびき、カナンの地にまねきいれてくださることを信じていました。そしてその救いがもたらされる日を、信仰をとおして見てはよろこんでいたのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)