あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたであろう(ヨハネ8:19~20)

(今回は、神は唯一でありながらも、父、子、聖霊という三つの位格において存在されている、ということについてふれたいと思います。なお本文では、父と子の関係のみが語られています)

 

ヨハネによる福音書・8章の19~20節より

『すると、彼らは(=ユダヤ人指導者たちは)イエスに言った、「あなたの父は(=あなたの二人目の証言者となる父は)どこにいるのか(=なお彼らは、イエスが神をさして父と言っていることには気がついています。それを神への冒涜(ぼうとく)とみなして、以前から捕らえようとしているわけです)」。イエスは答えられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない(=本質的なところで、イエスが子なる神でキリスト(救い主)であること、またその父である神のこともわかっていない)。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら(=信仰をとおしてキリストを知っていたなら)、わたしの父をも(=子なる神と等しい存在である父なる神のことも)知っていたであろう」。イエスが宮の内で(=エルサレム神殿の境内(けいだい)で)教えていた時、これらの言葉をさいせん箱のそばで(=みなが利用するところで公然と)語られたのであるが、イエスの時が(=神のご計画でさだめられた十字架のときが)まだきていなかったので、だれも捕える者がなかった(=神の守りのなかにおかれているので、だれも手をかけられませんでした)』

 

――――――――――――――――――――

(聖書の神は、父、子、聖霊という三つの位格をもちながらも、唯一の神であるという三位一体(さんみいったい)のご存在として語られています。三つの位格は、その本質においては同一ですから、子を知るときには、その子をとおして父をも知ることになります。ですからキリストのおことばにふれるとき、それは父なる神のおことばにふれているのであり、キリストとともにおられる神とのまじわりをあじわっているのです。どうか一人でも多くの方が、聖書の神を信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)