あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである(ヨハネ8:23~24)

(今回は、キリストによるご自身の神性宣言、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・8章の23~24節より

『イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが(=この地上で生まれたものだが。なお聖書としての意味では、まずアダムが罪をおかしました。それ以降の地上の人々は、生まれながらにアダムから罪をおかす性質をうけついでいるので、だれもが罪の支配下におかれています)、わたしは上からきた者である(=キリストは永遠のむかしから神とともにおられました。そして天におられる父なる神が、子なる神(=キリスト)を、神でありながらも人間としてこの世に遣わしました。それも聖霊をとおして、処女降誕によってお生まれになったので、アダムからの罪をおかす性質をうけついでおりません。この人類でキリストだけが、ただの一度も罪をおかしませんでした)。あなたがたはこの世の者であるが(=罪をおかす性質をうけつぎ、この世に属しているが)、わたしはこの世の者ではない(=天の神のみもとからきたお方で、神に属しておられます)。だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである(=人はこうした自力では解決できない罪の問題をかかえています)。もしわたしがそういう者であること(=神であり、キリストとして世の罪をあがなう救い主であること。なおここでは、ギリシャ語で “エゴー エイミ” がつかわれています。これは永遠なる神が、モーセに “わたしはあるという者である” とのべて、ご自身をあらわされたことばと同じで、キリストの神性宣言になっています(出エジプト3:14))をあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである(=あがなわれない罪をかかえたまま死をむかえ、神の国にはいることはできません)」』

 

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(キリストがご自身の神性を、“エゴー エイミ” ということばでいいあらわされています。これは “わたしはあるという者である” という意味であり、永遠のむかしから “あり”、そしていまも “あり”、この先も永遠に “ある”、という父なる神と等しいご存在の、子なる神だけに可能な宣言になっています。どうか一人でも多くの方が、神の御子(みこ)キリストを信じて、永遠のいのちをさずかりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)