あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る(ヨハネ4:23~26)

(今回は、肉(肉体)ではなく霊をとおしての礼拝、というものについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・4章の23~26節より

『しかし(=たしかにサマリヤ人とユダヤ人の礼拝にちがいはあるが、しかしその双方において)、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこと(=霊がもたらしてくれるまことさ。聖霊のはたらきによって、神がもとめている真理からはずれることのないただしさ)とをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている(=こうしてキリストが神を証(あか)ししている、まさにいま実現している)。父は、このような礼拝をする者たちを(=キリストから霊(=生ける水)をさずかり、その霊によって礼拝する者たちを)求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤ(=救い主)がこられることを知っています(=神が、人が必要としているメシアを遣(つか)わしてくださるのをつたえきいています)。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを(=神についてのすべてのことを)知らせて下さるでしょう」。イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである(=あなたがたが待ちのぞんでいるメシアが、このわたしである)」』

 

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(もし聖霊をさずかっていないなら、その人がどんなに熱心に礼拝をしても、神がもとめておられるものに対してピントがあうことはありません。わたしたちは聖霊のはたらきによってはじめて、神のもとめに一致したまことの礼拝がささげられるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて聖霊をさずかりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)