(今回は、人々の罪をあがなってくださる、いけにえとしてのキリスト、についてふれたいと思います)
まず先に “贖罪(しょくざい)” という聖書のおしえにふれておきます。これは人間がおかした罪を、やぎやひつじなどの動物に転嫁させて(てんか=身代わりにひきうけさせて)、その命を犠牲にする(=いけにえとして神にささげる)ことで、神のゆるしを得るというものです。動物には罪をおかすという概念がないので、罪によって汚(けが)れていることがなく(=神に対して清さをたもっており)、そのために人間がおかした罪をひきうける役割をはたしえるのです。
『その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(=人々の罪をあがなうための、神にささげるいけにえとしてのこひつじ)。『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先に(=世のはじめから)おられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。わたしはこのかたを知らなかった(=本当の意味でのこの方を知り得ていなかった)。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために(=この方がイスラエルに明らかにされるために)、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」』
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(神は、どんなささいな罪も見のがされません。罪に対してその代価が払われた場合にかぎりゆるしてくださるのです。本来ならわたしたちが負うべき負債(ふさい=罪へのつぐない)を、身代わりとなってせおってくださったのがキリストです。キリストは神をなだめるために、いけにえのこひつじとしての役割を担(にな)ってくださいました。このときに払われたのが、十字架上でながされたキリストの血であり、ご自身の命なのです。どうか一人でも多くの方が、このことを信じて、罪をゆるされた者となりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)