(今回は、洗礼者ヨハネがどのようにキリストをみているのか、についてふれたいと思います)
『つかわされた人たちは、パリサイ人(=ユダヤ教の一派に属する人)であった。彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマ(=洗礼)を授けるのですか」。ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが(=あなたがたが霊のまじわりにおいて、知り得ていない神のキリストが)、あなたがたの中に立っておられる(=霊的な意味で、すでに立って存在しておられます)。それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない(=くつのひもをとくのは奴隷(どれい)の仕事です。キリストがあまりに偉大なので、自分にはその奴隷になる値うちさえないとのべています)」。これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤ(=ヨルダン川の東のベタニヤ)であったのである』
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(キリストがのちに語られることですが、洗礼者ヨハネは人間のなかでもっとも偉大な人物です。その彼が、キリストのことを上記のように語り、その偉大さを崇(あが)めています。どうか一人でも多くの方が、聖書の神に仕(つか)えて、キリストのしもべとしてはたらいていけますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)