あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である(ヨハネ1:14~23)

(今回は、旧約聖書で預言されていた洗礼者ヨハネのあらわれ、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・1章の19~23節より

『さて、ユダヤ人(=神の民であるイスラエルの民)たちが、エルサレムから祭司(さいし)たちやレビ人たち(=イスラエルの十二部族の一つで、このレビ族が祭司などをつとめています)をヨハネ(=洗礼者ヨハネ)のもとにつかわして、「あなたはどなたですか(=あなたは悔いあらためのバプテスマを人々にさずけていますが、いったいどなたなのですか)」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。すなわち、彼は告白して否(いな)まず(=彼は証言するのをこばまずに)、「わたしはキリストではない」と告白した。そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤ(=かつてのイスラエルの地にあらわれた神からの使者)ですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか(=モーセのような使者ですか)」。彼は「いいえ」と答えた。そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々(=大祭司など)に、答(こたえ)を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。彼は言った、「わたしは、預言者イザヤ(=神の使者で、この当時よりさらに700年ほど前にあらわれた人物。旧約聖書イザヤ書の著者)が言ったように(=そこで書きのこしているように)、『主の道をまっすぐにせよ(=キリストのおしえが広まりやすいように、そのさきがけとなって準備をととのえよ)と荒野(=イスラエルのあらの)で呼ばわる者の声』である(=このように洗礼者ヨハネは突然あらわれたのではなく、あらかじめキリストの到来を人々に呼びかけることになると預言されていた人物なのです)」』

 

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(聖書には “預言者” ということばがでてきますが、これは神からの啓示(けいじ)をうけて、そのおしえや未来に関することなどをつたえる人物のことです。そして歴史からもあきらかなとおり、聖書の神の預言ははずれることがありません。上記のイザヤの預言にしても、洗礼者ヨハネがそのことばのとおりにあらわれて、キリストの宣教の準備をととのえることになりました。どうか一人でも多くの方が、聖書の預言にふれて、神のご計画のただしさを知ることとなりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)