あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

彼は必ず栄え、わたしは衰える(ヨハネ3:27~30)

(今回は、自分の役割をわきまえているヨハネ、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・3章の27~30節より

ヨハネは答えて言った、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない(=あなたたちは、イエスとわたしとで、どちらからバプテスマをうけるべきかを問題にしているが、そもそも大事なのは、それをさずけている人が、ほんとうに神からつかわされた者なのかどうか、である。もし神からの許可がないなら、その人はなにものも実行する権限をもちあわせていないのだ。ヨハネはこの真理にもとづいて、イエスが天からのものと確信しているので、彼らにこうつづけます)。『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である(=あの方こそキリストであり、自分はあの方がなさる宣教の、そのさきがけとなって準備をととのえるにすぎない者である)』と言ったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身である(=あなたたちにはこのことを前々からつたえてきたし、神のみちびきあってのおこないでもしめしてきた。わたしと行動をともにしているあなたたちこそ、このことの証人なのだ)。花嫁(はなよめ=ここでは “キリストを信じる者” をさしています)をもつ者は(=そのはなよめとむすばれるのは)花婿(はなむこ=ここでは “キリスト”)である。花婿の友人(=ここでははなむこのつきそい人、世話役としての “ヨハネ”)は立って彼の声を聞き(=はなよめにかけるはなむこの声をきき)、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている。彼は必ず栄え、わたしは衰(おとろ)える(=このようにヨハネは、キリストが栄えていくそのかげで、自分の役割がうすれていく存在であるのを、みこころ(=神のご計画)をとおして自覚していました。そしてこのことに対してわきまえをもっていたのです)」』

 

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(キリストはもちろんのこと、ヨハネも神によって立てられていたのですから、両者を比較するような目でみる必要はありませんでした。ましてやヨハネからすれば、キリストこそは偉大なメシヤ(救い主)であり、自分はそのさきがけとしてつかわされているにすぎない者だったのです。このことを上記の表現をとおして、弟子たちに再確認させています。どうか一人でも多くの方が、ささいな疑問からでもいいので、聖書に興味をもつこととなりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)