あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか(ヨハネ21:22~23)

(今回は、ペテロにはペテロの信仰の歩みがあるとつたえるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・21章の22~23節より

『イエスは彼に(=弟子のヨハネの将来を尋ねたペテロに)言われた、「たとい(たとえ)、わたしの来る時まで(=昇天後に再び天から来るときまで。信者にとっての携挙(けいきょ)のときまで(テサロニケ一・4:15~17))彼が(=ヨハネが)生き残っていることを、わたしが望んだとしても(=仮に望んだとしても)、あなたにはなんの係わりがあるか(=ペテロにはペテロの信仰の歩みがあり、神がそれを用意されるのだから、ヨハネがどのようにみちびかれて歩んでいくのかは、あなたにはかかわりのないことだ)。あなたは、わたしに従ってきなさい(=したがいつづけなさい)」。こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが(=キリストがペテロを諭(さと)すために語った内容が、誤(あやま)ったうわさとなって)、兄弟たちの間にひろまった。しかし、イエスは彼が死ぬことはないと言われたのではなく、ただ「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか」と言われただけである(=ペテロにはペテロの歩みがあるのであり、仮にキリストがヨハネに対して、彼が死なないように願ったところで、それはあなたには関係がないと、たとえ話をして説明されました。なお実際のヨハネもすでに亡くなっています)』

 

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(キリストにしたがっていく過程で、それぞれの信者がどうみちびかれていくのかは、神がおきめになることです。ですから、その歩みがどうなっていくのかは本人にかかわりがあり、他者には関係がありません。わたしたちは神を信じて、自分に与えられた道を歩んでいくまでなのです。どうか一人でも多くの方が、キリストにしたがいつづけていきますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)