あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう(ヨハネ21:18~21)

(今回は、ペテロの殉教を預言されるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・21章の18~21節より(以下はキリストのおことばです)

『よくよくあなたに(=弟子のペテロに)言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯(=腰のおび)をしめて、思いのままに歩きまわっていた(=思いのままに伝道もしていた)。しかし年をとってからは(=年をとってからの死に際(ぎわ)には)、自分の手をのばすことになろう(=手を伸ばされて、自由をうばわれるだろう)。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ(=縄(なわ)をかけ)、行きたくない所へ(=処刑の場へ)連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである(=キリストは、ペテロが殉教をとげる(じゅんきょう=信仰のために殺される)預言をされました。それも、手を伸ばす、とあるので、磔(はりつけ)の刑を示唆(しさ)されたのかもしれません)。こう話してから、「わたしに従ってきなさい(=したがいつづけなさい)」と言われた。ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子(=ヨハネ)がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のとき(=キリストが捕らえられるまえの、最後の晩餐(ばんさん)のとき)イエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか(=これはキリストを売りわたしたユダのことです)」と尋ねた人である。ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか(=ペテロは、それならヨハネはどうなるのですかと尋ねています)」』

 

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(キリストは、ペテロの死に方について話されました。おそらくペテロもそれを感じとったので、それならヨハネはどうなるのかと尋ねたのだと思います。いずれにしても信者が死をむかえるというのは、その人が神からあたえられたはたらきをすべてやりおえたことを意味しています。その中でもとくにペテロのような殉教をもって、神の栄光を世に強くあらわしながら閉じられることもあるのです。どうか一人でも多くの方が、神の栄光をあらわしていけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)