あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた(ヨハネ20:30~21:3)

(今回は、ガリラヤ湖の岸辺で、再び弟子たちにあらわれるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・20章の30~21章の3節より
『イエスは、この書に(=ヨハネによる福音書に)書かれていないしるし(=神を証しするための、病のいやしといった神のみわざ、奇跡)を、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは(=その中からこうして福音書として書いてきたのは)、あなたがたがイエスは神の子キリスト(=神の御子(みこ)であり、世の救い主)であると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって(=イエスキリストのご存在そのものによって)命を(=永遠のいのちを)得るためである。そののち、イエスはテベリヤ(=ガリラヤ湖の西)の海べで(=湖畔(こはん)で)、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。シモン・ペテロが、デドモ(=双子という意味)と呼ばれているトマス、ガリラヤ(=キリストの故郷がある地方)のカナ(=ガリラヤ湖のやや離れた西)のナタナエル、ゼベダイの子ら(=ヤコブヨハネ(マタイ4:21))や、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁(りょう)に行くのだ(=ペテロはもともと漁師でした)」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった』

 

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(キリストはテベリヤの湖畔で、三度目となるお姿を弟子たちにあらわされます。こうしてキリストは、復活してから昇天するまでの40日間を、神の国について彼らにお話になりながら過ごされていきます(使徒1:3)。どうか一人でも多くの方が、聖書を手にとり、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)