あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」(ヨハネ21:4~8)

(今回は、弟子たちの成長をひきだすために声をかけるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・21章の4~8節より

『夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった(=夜があけたころで、岸まで距離があったので、キリストだとわかりませんでした。ですが、こうした物理的な面もあったでしょうが、今後自分たちがどうキリストに従い、伝道をしていくのか、このあたりの霊における迷いも暗示しているように思います)。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか(=キリストはこうした会話から、彼らの成長をひきだされます)」。彼らは「ありません」と答えた。すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網(あみ)をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので(=神のみわざによって魚が多くとれました)、それを引き上げることができなかった。イエスの愛しておられた弟子(=ヨハネ)が、ペテロに「あれは主だ」と言った(=キリストの外見がたしかめられたからではなく、魚がとれたことでキリストだとわかりました。彼らは以前、キリストの弟子にくわわるときにも、同じ経験をしていました(ルカ5:4~10))。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ(=彼のすこしでも早くキリストに会おうとする気持ち(喜び)があらわれています)。しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間(=間(けん)とは、約1.8メートルのこと。なので約90メートル。他の聖書では二百ペキスと訳されています)ほどの所にいたからである』

 

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(弟子たちは、復活したキリストに息をふきかけられることで聖霊をさずかっていました。ですが、だからといってなにもかもが急にひきだされるわけではありません。ときに霊的な成長は遅くもあり(=とくに神ではなく自分を頼ってしまっているときなど)、キリストは昇天するまでのあいだ、たびたび彼らにあらわれることになります(使徒1:3)。どうか一人でも多くの方がキリストを信じて、聖霊のみちびきをさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)