あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:19~23)

(今回は、息を吹きかけて弟子たちに聖霊をあたえるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・20章の19~23節より

『その日、すなわち、一週の初めの日(=キリストが早朝には復活していた日曜日)の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて(=キリストを訴えたユダヤ人たちが、自分たちも捕らえて殺すのではないかとおそれて)、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエス(=復活したキリスト)がはいってきて(=戸を閉めきっているにもかかわらず入ってきて)、彼らの中に立ち、「安(やす)かれ(=平安があるように)」と言われた。そう言って、手とわきとを(=十字架にかけられた際に釘(くぎ)をうたれた手と、死亡の確認のためにやりで刺されたわきを)、彼らにお見せになった(=傷跡はのこっていました(黙示録5:6))。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしを(=神がその権威をあたえてわたしを)おつかわしになったように、わたしもまたあなたがたを(=キリストもまたその権威をあたえてあなたがたを)つかわす」。そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ(=こうして神の霊が彼らの内に入り、三位一体(さんみいったい)の神が永遠に住まわれました)。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう(=これは彼らの裁量に、罪のゆるしとさばきがかかっているということではありません。あくまでもキリストによる福音(=救いをもたらした良い知らせ)をのべつたえていく中で、信仰にいたった者には罪のゆるしを宣言できるし、信仰にいたらない者には罪のゆるしを宣言できず、その罪はあがなわれないままのこるということです。つまるところ罪のゆるしとさばきは、キリストの福音をうけいれるかどうかにかかっているのです)」』

 

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(復活前のキリストが語っていたように、彼らの助け主となる聖霊がさずけられました。これにより彼らはキリストの十字架の意味を悟り、これまでキリストが話してきたことや、旧約聖書のみことばの内容も理解することとなりました。そしてキリストからつかわされた彼らは、キリストの福音をのべつたえていくことで、罪のゆるしを世にもたらしていったのです。どうか一人でも多くの方が、この福音にあずかれますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)