(今回は、弟子たちを、神の家族として兄弟と呼ばれるキリスト、についてふれたいと思います)
『イエスは彼女に(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらったマリヤに)言われた、「わたしにさわってはいけない(=ここは、すがりついてはいけない、という訳(2017新改訳、新共同訳、エマオ出版訳)のほうがいいと思います。マリヤは、生きているキリストに感情がおさえられず、その足にすがりつきました(マタイ28:9)。しかしこういう態度は、これから神の右の座につくために、昇天しなければならないキリストが望まれるものではありません。昇天後には、彼女にも聖霊(助け主)がやどされるので、彼女自身の益となるのです(ヨハネ16:7))。わたしは、まだ父のみもとに(=天の神のところに)上っていないのだから(=キリストにはするべきことがあり、まだ果たしおえていないのだから)。ただ、わたしの兄弟たち(=弟子たち。キリストの復活をとおし、聖霊をさずかることで新生し(ペテロ一の1:3、ローマ6:4)、神の家族となる兄弟たち。そしてキリストはこの兄弟たちの長子(ちょうし)となられます(ローマ8:29))の所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって(=長子であるキリストの父であり、また兄弟であるあなたがたの父でもあり)、わたしの神(=父であり、その実際は神である方)またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した』
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(これまでのキリストは弟子たちに対して、神の家族としての兄弟という表現はとってこられませんでした。ですが復活を経て、聖霊をさずけることで新生させてからは、同じ父をもっているとの意味をこめて、彼らを兄弟と呼ばれました。どうか一人でも多くの方が、神の家族にくわえられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)