あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く(ヨハネ20:17~18)

(今回は、弟子たちを、神の家族として兄弟と呼ばれるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・20章の17~18節より

『イエスは彼女に(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらったマリヤに)言われた、「わたしにさわってはいけない(=ここは、すがりついてはいけない、という訳(2017新改訳、新共同訳、エマオ出版訳)のほうがいいと思います。マリヤは、生きているキリストに感情がおさえられず、その足にすがりつきました(マタイ28:9)。しかしこういう態度は、これから神の右の座につくために、昇天しなければならないキリストが望まれるものではありません。昇天後には、彼女にも聖霊(助け主)がやどされるので、彼女自身の益となるのです(ヨハネ16:7))。わたしは、まだ父のみもとに(=天の神のところに)上っていないのだから(=キリストにはするべきことがあり、まだ果たしおえていないのだから)。ただ、わたしの兄弟たち(=弟子たち。キリストの復活をとおし、聖霊をさずかることで新生し(ペテロ一の1:3、ローマ6:4)、神の家族となる兄弟たち。そしてキリストはこの兄弟たちの長子(ちょうし)となられます(ローマ8:29))の所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって(=長子であるキリストの父であり、また兄弟であるあなたがたの父でもあり)、わたしの神(=父であり、その実際は神である方)またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した』

 

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(これまでのキリストは弟子たちに対して、神の家族としての兄弟という表現はとってこられませんでした。ですが復活を経て、聖霊をさずけることで新生させてからは、同じ父をもっているとの意味をこめて、彼らを兄弟と呼ばれました。どうか一人でも多くの方が、神の家族にくわえられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)