あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう(ヨハネ16:25~28)

(今回は、十字架の死や復活、昇天について意図的につつんで語ってきたキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・16章の25~28節より(以下はキリストのおことばです)

『わたしはこれらのことを比喩で話したが(=キリストは十字架の死や復活、昇天について、聖霊をさずからなければ理解できないように話してこられました。そのため弟子たちにはキリストが語った、わたしを見なくなる(十字架の死)、や、またわたしに会える(復活)、や、わたしの父のところに行く(昇天)、といった意味がみえていません。とくに復活については、直前でも、妊婦から産まれる赤子にご自身をたとえて話されました(ヨハネ16:21))、もはや比喩では話さないで、あからさまに(=聖霊をさずかったあとの彼らにつつみかくさずに)、父のことを(=世を救うためにキリストを用いた神のことを)あなたがたに話してきかせる時が来るであろう。その日には(=復活後に聖霊をさずける日には)、あなたがたは、わたしの名によって求める(=祈り求める)であろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい(=弟子たちがキリストの名によって祈るようになった際には、もうキリストが彼らの代わりに神に祈ることはしない)。父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである(=父(神)、子(キリスト)、聖霊があなたがたの内に住み、一つとなった愛の関係の中にいれられたからである。それゆえにキリストが代弁者のような役目を果たす必要はなくなりました)。それは、あなたがたがわたしを(=神が救い主として立てたキリストを)愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを(=キリストが神と等しい存在の御子(みこ)であるのを)信じたためである。わたしは父から出てこの世にきたが(=天の神のみもとからこの地上にきたが)、またこの世を去って、父のみもとに行くのである(=昇天することになるのである)』

 

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(キリストは、十字架の死や復活、昇天について、弟子たちにはわからないように話されてきました。これらは神のみこころにしたがってのことであり、それはたとえば旧約聖書にある『牧者を撃て、その羊は散る(=キリストが捕らえられ殺されるときに、弟子たちはキリストを見捨てる(ゼカリヤ13:7))』といった預言が、成就しなければならないからです(=もしキリストがすべてを具体的に話していたなら、彼らは落ち着きはらって、逃げだす行為をとらなかったかもしれません)。どうか一人でも多くの方が、キリストのことばをうけとめますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)