あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」(ヨハネ20:11~16)

(今回は、復活に気づかず、目がさえぎられているマリヤに呼びかけるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・20章の11~16節より

『しかし、マリヤ(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらった女性(ルカ8:2))は墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使(みつかい=天使)が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼ら(=マリヤは彼らがみつかいだと気づいていません)に言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました(=死んでいるキリストを移動させました)。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった(=マリヤはイエスがメシア(救い主)であるのは信じていますが、こうして死の三日目に復活することに対しては、確固たる信仰がありませんでした。そのため実際にイエスを見ているのに、神により目がさえぎられていて、イエスだと気づきません(ルカ24:16参考))。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜(さが)しているのか」。マリヤは、その人が園(その)の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります(=この引き取るということばにキリストへの愛がうかがえます)」。イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた(=さえぎられているマリヤの目をひらくために呼びかけられた)。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語(=ユダヤ人の言語)で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である(=こうしてキリストだと気がつきました)』

 

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(もしマリヤに、キリストの復活に対するゆるぎない信仰があったなら、目がさえぎられることはなかったと思います。ですが救い主であるのは信じていましたし、移動されたと思いこんでいるキリストの遺体も、引きとりたいと申しでました。こうした彼女にキリストは、マリヤよ、と呼びかけることで、その目をひらかれました。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)