(今回は、キリストの死を感じとっているマリヤ、についてふれたいと思います)
『弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダ(=村の名に由来したユダの呼び方)が言った、「なぜこの香油を(=マリヤがイエスの足にぬった高価な香油を)三百デナリ(=300日分の賃金)に売って、貧しい人たちに、施(ほどこ)さなかったのか」。彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人(ぬすびと)であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった(=ユダはもし可能なら、この三百デナリを自分のふところにいれたいとさえ思ったのだと思います)。イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬(ほうむ)りの日のために(=死んでお墓にいれられる日のために)、それをとっておいたのだから(=あらかじめ用意をして、こうしてぬってくれたのだから(マルコ14:8))。貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが(=彼らにほどこしをする機会はこれからもあるが)、わたしはいつも共にいるわけではない(=イエスはもう間もなくで十字架にかけられます)」』
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(上記のようにマリヤは、キリストの死を意識して香油をぬってさしあげました。これに盗人であるユダが反応し、こころにもないことを言って偽善者であるのを露呈(ろてい)しています。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)